茶の脇道 その四~いきなり「正午のお茶事」後編
初めての茶事懐石を頂き、お作法をこなすのにいっぱいいっぱいなのに、お酒もいい具合に周り、「あぁ美味しい、あぁ楽しい」と心もお腹もいっぱいになって、細かいことはもうこの空間とお味と亭主の心づくしを楽しみ尽くせばいいか!と開き直ったところで、懐石は終了。
腰掛待合でほっと一息つきます。
後座・席入り
しばらくするとどうぞお入りをと声がかかり、再び正客から茶室に入ります。
この時、茶室ではいわゆる模様替えが行われています。
床の間の掛物はなくなり、季節の花が生けられ、点前座には濃茶手前の荘り付けがされています。
再び、順番に拝見させていただき、定位置に。
亭主がはいり、濃茶手前の始まりです。
灯りのしつらえで後座にはいると簾がはずされ明るくするというところももあります。
これは初座が陰、後座が陽であるということだとか。
場の雰囲気的には初座はなごやかにお食事とお酒を頂く陽で、後座は神妙にお茶点前を頂く陰のように感じましたが、まだまだ若輩者ですね、私。
濃茶手前は飲みあがりがお花のように
濃茶手前とは一椀の茶を正客からお詰まで連客全員でいただく、まさに一座建立の場といわれています。
1人1人が一口ずつを味わいながら「三口半」いただきながら、次客に渡していきます。
飲んだら濡らした茶巾で飲み口を清めながら、次客に手送りしていきます。
お詰めの私は最後綺麗に清める役。そして飲み切るというプレッシャー(汗)
ここで先生から「飲み口は人数の数分ずらし、お詰めが飲み終わるときにはお花のように飲んだ跡がのこるようにするのがよいのです」と。
あぁ、いびつなお花です・・・。
あとから聞くと、濃茶は濃厚なので、最初のご正客が頂く味とお詰の味は変わるとか。
うん、だからちょっと固めのお茶ペーストだったのか(笑)
それにしても私は濃茶を頂くたびに鼻に抜ける香りが磯の香なのです。これは旨味成分に鼻が反応しているのだろうか・・・。
そして、茶碗の拝見、お道具の拝見を。
この日のお道具は
水指・・・古瀬戸 一重口
茶入・・・大名物 宮王方衝茶入写 龍喜窯 今城聡
仕覆・・・萌木地雲鶴緞子
茶杓・・・利休
茶碗・・・萩焼 小井戸茶碗 守繁栄徹
蓋置・・・夜学
建水・・・高取 十三代 味薬
茶・・・喜雲 小山園
なんと本物の利休・・・一生に一度出会えるかどうかです。とても繊細な茶杓で、いい具合に色に深みがあり、手が震えました。
柔らかい色味と手触りの萩焼。次回は美しい茶の跡花を咲かせたいものです。
薄茶はなごやかに
ちょっと緊張気味の濃茶手前でしたが、身近な薄茶はなんだかほっとします。
薄茶の前には「どうぞ一服して、おくつろぎを」という亭主の気持ちを示すために「莨盆」が持ち出されます。
この時代ここで一服という方はいないでしょうが、莨盆のお道具やしつらえを拝見するのも楽しみです。
ここで堂々と一服できる大人になりたい・・・大人って一体いつだ?
薄茶のお菓子は菊屋さんの初雪扇面と丹波豆を使った銘菓青山。
和やかにお点前を頂き、満腹なのにお抹茶の滋味がふんわりと身体中に染み入ります。
最後もお道具の拝見。
水指・・・飴釉海老耳 一重口 九大大桶長左衛門
棗・・・七宝つなぎ蒔絵 大棗 前端雅峯
茶杓・・・山里 藤井戒堂 紫野三玄院
茶椀・・・正客 黒楽 常盤 十代旦入
私は紅志野 でいただきました。
蓋置・・・つくね 萩
建水・・・とじ目 丹波 市野信水
茶・・・松柏 小山園
最後にご正客から亭主にお礼の挨拶があり、お茶事は終了。
お庭にでて楽しかった時間をご連客で語り合います。
茶道こそはオフグリッドな、悠久の大人の遊びなのでした。
お茶事はお道具の拝見にはじまり、お道具の拝見に終わるのです。
その良さを正しく素直に感じる感性をもつためには、いろいろなお勉強が必要です。
器の歴史と知識、禅語、華道、香道、書道の深い知識があったら、どんなに深く感動ができることでしょう。
茶道がこれらすべての総まとめ。
お茶の一服をただ楽しむために自らの教養を高め、学ぶというなんと贅沢な遊び。
ネットもスマホもなく、知らせは数カ月後という時代の時の流れの悠大さを感じます。
ふとしたことから触れてしまったものすごく深い茶道の世界。
まだ高みなのか深みなのか山なのか谷なのか、見上げ、覗き込んだだけなのですが、
これはいったいどこまで続いているんだろう。
その先にあるものが何なのか。
それはまるで、人生をかけての長い道のり。
きっとここまで学べばよいという完成はないような気もする。
それぞれの年齢のステージで感じることもきっと変わる。
ウンチク垂れてるようじゃまだまだ若いな・・・そんな利休さまの声も聞こえてくる。
茶道は一期一会。同じ会は二度とありません。
その時の自分の心の様子を映すもの。亭主であっても客であっても。
常にそこに向き合う合わせ鏡のようなものなのかもしれません。
その場の全身全霊のもてなしをしてくださる亭主の気持ちをしっかり受け止め、
美味しい、楽しい、美しい~を失礼なく感じられればオッケー!
私はやっぱり茶の脇道を楽しむのがよいのかも。
夏の茶事に続きます(笑)