茶の脇道 その三~いきなり「正午のお茶事」前編
茶道のあれこれ、着物のあれこれをにわか勉強・・・(いやかなり勉強したけど)し、とうとう迎えた初めてのお茶事な上に「正午のお茶事」という正式すぎる高いハードル。しかも、ぴよぴよ初心者がほとんどの連客の中、ご正客は唯一の茶道経験のあるYさんにお願いし、亭主に「そんなに勉強しているならお詰やったら~?」と初めての上にお詰役に・・・。どうなることやら・・・。
いきなり紆余曲折
実は今回、戸隠神社の大杉がもうすぐ倒木の危険ありということで切り倒されてしまうという話を聞き、旦那と前日入りして戸隠神社奥社や善光寺参りをしようと観光気分だったのですが、なんと戸隠神社奥社は軽く吹雪。さて奥社登山に備えてスニーカーを履き替えようとトランクを開けると・・・ない?ない!?ない!!着物一式がない・・・。やっちまった感はロケに衣装一式忘れてきたstylist気分(もちろんそんなヘボな経験はないのですが)。しかも私は忘れ物大嫌い。自責の念をかかえつつの、はじめての戸隠神社奥社参りになりました。
結局、着物は期末テスト明けの息子に夜発でくるお友達の家まで運んでもらい、夜中無事に手元にやってきました。(はじめての場所、人へのお使いだったので、ミッションコンプリートまで変に緊張~実はもういっぱしの高校生男子に育っていました。)
紆余曲折ありすぎましたが、いよいよお茶事当日です。
朝から着物と奮闘。とりあえず着ていって、向こうには着物のプロがいっぱいいるので直してもらおうと、習うより慣れろ精神で着付け。東京から当日朝新幹線組を車でピックアップして、出発しました。
花園居
初めての「正午のお茶事」の場となるのは、長野駅から車で30分ほど白馬方面にいった中条という村。トンネルを抜けると、雪化粧をした白馬の山々が一枚の絵のように迎えてくれます。
グーグルマップとそれまでに家主より聞いていたロケーションと見ていた写真のイメージで一発で到着。
素敵にリノベーション古民家なのですが、庭は「ここは参道か!?」という石畳。
車を駐車するのもちょっとはばかられるほど(笑)。はじめての花園居です。
玄関から入るとそこは素敵な土間を利用したギャラリースペースと囲炉裏端を囲んだスペース。すでに友人母(このお茶事の先生を務めてくださいました)が炭をおこして温めてくれていました。
しばらくお家をきょろきょろと見せて頂き、寄付に荷物を置き、時間とともに待合に通されます。(その間に私は寄付にて着物の着付け直しをうけていて超バタバタ・・・)乱れ箱にショールなど荷物を風呂敷に包み、懐紙、扇子、そで落としなどを襟に挟み、奥座敷の待合へ進みます。
いよいよ茶事が始まります。
寄付 待合
筆で記帳をすませて、待合で半東さんより白湯を頂き、和やかにご一緒するお仲間と談笑します。その器、盆も素晴らしいものだったのですが、写真撮り忘れ・・・。
正客より順番に待合にかかっているお軸を拝見します。お軸は「画賛 富士 賛 三峰秀色冠天下」。
のちの茶事懐石でなぜそのお軸であったのかが解き明かされていきます。
こういった趣向の仕掛けをしていくのが、茶事の醍醐味であり、亭主の楽しみであり、お客は亭主の趣味の良さや隠された趣向や心配りを楽しむポイントでもあります。
腰掛待合
腰かけ待合替わりの縁側に通され、一人ずつお庭にしつらえられた蹲踞で手と口を清めます。
蹲踞周りやお庭の亭主の心配りを感じながら、お庭を楽しみます。
今回お詰め役を頂いた私は、円座の始末などが始まりますが今回は省略。
露地草履を立てかけ、待合に最後に入ります。露地草履を履くのは初めて。優しい履き心地でした。
初座 席入り
いよいよ初座。茶扇子を前に置き、中を伺い、にじり入ります(これが茶道独特の動作・・・なかなか慣れません)。
床前に座り扇子を前に置き一礼。掛物を拝見します。床のお軸は「彩凰舞丹宵」大徳寺派南宗寺 田嶋碩応師の書です。
床を拝見したあとは、炉を拝見します。12月のこの時期は炉のお点前が主役。
趣のある炉縁はなんと金閣寺の古材で有馬頼底花押のもの。
これまた風格のオーラがあふれる窯は「初代 宮崎寒雉作 一天明月晒銀沽」。
初炭手前
全員の拝見が終わると、本日の先生、石州流の先生をされているお母さまによる炭手前を拝見します。
いろいろな形の炭を炉の中においていくのですが、流派によって異なる並べ方だそう。この置き方でちょうど懐石が終わり、濃茶手前がはじまるころに、松風といわれる「しゅーー」というお湯の沸いた音をたたせ、お茶をたてるのに最適な温度に持っていくのが、亭主の力量だそう。白い飾り炭をしつらえて香りを焚き、場を清めていきます。その後、正客が香合の拝見を所望し、全員で拝見します。
この日の香合は矢口永寿作「青花辻堂香合」。
炭の香りと香の香りが、古い茶室の空間に厳かに漂い、緊張とともにテンションが上がります。
いよいよ懐石が始まります。
目にもお腹にも楽しい懐石
一般的な懐石料理は茶道での茶事懐石が簡略されたもの。茶事懐石では、ちょっと様子が違います。
まず折敷(今回は食べやすいようお膳)に飯椀、汁椀、向付の三光とよばれる姿で運ばれてきます。全員にいきわたったところで亭主より「どうぞお箸のお取り上げを」とあいさつがあり、客は「頂戴します」と一礼。正客が「それではいただきましょう」と声をかけ、連客は「お相伴いたします」とあいさつ。一同そろって飯椀の汁椀の蓋を開けます。この時に向付には手をつけません。飯椀の蓋を下に、汁椀の蓋を上に重ね、右横手前におきます。お茶事ではお箸の扱いも独特。一気に持たず、右手、左手とを交互に持ち替えて丁寧に扱います。
この日の汁椀は花園居の畑でちょうどとれた蕪を子大根添えと、菜っ葉添えの2種でいただきました。お米も田んぼで無農薬で育てた亀の尾米。その場でとれたものを頂く贅沢さに、一同感動です。
ここで一献目のお酒が出てきます。盃、盃台を正客からお詰めまで回し、亭主より酌を受けます。お酒を頂いたら、向付を頂きます。
向付は鯛とホタテの昆布〆。優しいお味が亀の尾大吟醸によく合います。
そして飯器・汁替。ごはんのお替わりと新たな汁椀を頂きます。この時、飯器は正客が預かり自分たちで飯をつぐのがルール。
次は煮物椀。煮物椀は懐石のメインともいえる椀。器、季節や彩、香りに心を配っているので、ここは趣向を楽しむポイントです。
この日はそれぞれの椀の蓋裏に様々な富士山の蒔絵が。待合のお軸が富士山であったことの伏線がここで回収されるのです。
椀盛には目にも美しい蟹真薯。出汁の味が蟹の風味を引き立てた逸品です。
二献目のお酒がまわります。この頃には和気あいあいと同席のお仲間とおしゃべりしながら、お酒でちょっといい気分。
飲みすぎ注意ですね。
焼物は信濃の雪鱒。ここからは大皿がご正客から周り、一人一種一つずつ、向付の器にとりわけてお詰めにまわるのがルール。
キレイになくなった器を懐紙で清め、器拝見にまわるはずなのですが、ここで問題発覚!だれか取ってない!?
素敵な清朝の古染付なのですが、まわせない!!はじめてのお詰めには難しすぎる!
次は普通のお茶事では小吸物椀にいくところですが、ここは里山の茶事。さらに花園居の畑の恵が続きます。季節の煮物、旬の春菊と柿の和え物と続き、お酒もまわり、お茶事なのにお腹いっぱいという事態に・・・(笑)煮物も和え物も一つずつ、人数割目分量で全員がとりまわすとキレイになくなる量がはいっているはずですが、取り切れずすべてのこるという。お詰め泣かせです。皆様・・・。
しかし、忘れずにここまでの料理を頂き終わると煮物椀の蓋、身を清め、懐紙はそで落としにいれます。
小吸物椀、そして八寸・三献目と続きます。八寸は海のものと山のもの。
つづく湯斗と香物で飯椀と汁椀を清めます。香物はお酒のおつまみではないので(先に食べてしまう事件勃発(笑))、湯をいれ、香物で椀の中をさらうという役目があります。
最後に、頂き終わった椀、向付、盃。箸を懐紙で清めます。
折敷の右端にかけた箸を正客の「ご一緒に」合図で全員で折敷の上にそろって落とします。これがお食事がおわったことを亭主に知らせる合図。なんとも風情がある動作ですが、綺麗な音で落とせるのかどきどきです。
最後は主菓子を取り回し、頂いた後に中立。
この日は喜世栄の「初雪」というお菓子。
この冬は1月をすぎないと雪の降らない冬だったので、まさに季節を先取りする趣向の和菓子でした。
そして食籠にも富士山の伏線。蓋の裏に見事な富士山の蒔絵が!会津鉄錆塗 鈴木屋利兵衛作のものでした。
さあ、ここから茶事の茶。
亭主の心配りと上品な趣味を感じる凝った器を拝見した眼福感と、いい具合の酔いと里山のごちそうによる満腹感を抱え、腰掛待合で一息つきます。
つづく・・・